photo by naomix
派遣会社にて最近感じる事がある。
女性登録社員の半数がバツイチだ。
又、子持ちが多い。(母子家庭)
女性がたくましくなったのか?
男性が無責任になったのか?
実のところ男に経済力が無いことが原因の一つらしい。
聞けば、我が国も欧米並の離婚率になりつつあるらしい。
時の流れを痛感する。
”欧米並の離婚率”かつて欧米諸事情のそれを我々は
「文化の違い」で片付けていた。
「価値観の違い」で片付けていた。
その解釈で本当に良かったのだろうか?
我々日本人はそんな簡単な言葉で片付けられる程、欧米文化を理解できていたのか?
恐らくそれは大きな間違いなのだろう。
テレビが流す情報と観光で見聞きした情報でしか、我々は他国のことを知らない。
そして自国のことも自分の周りで起きる日常とテレビでの情報でしか把握できていない。
(※最近はインターネットという手段があるが。。。)
良識ある異国の人間と交流をとってみてはじめて理解に達するが、欧米においても、しっかりと家庭を支え続ける人達がいるのだ。
そうやって幸せを勝ち取った人が多くいるのだ。
人口の違いや、その国の宗教、文化も理解せずに一面だけを捉えて、答えをだすのは危険極まりない。人口が異なれば、人口密度も異なる。当然そこに暮らす人間の生活も異なってくるのは当然だ。そのような異なる人間同士を、同じ物差しで測ること自体が間違いなのかもしれない。
統計の世界ではデータ結果の比較に、その結果を算出させたデータ取得方法から母数までもこと細かく分析する必要があるという。
そして分析の結果、データの比較に簡単な答えはあり得ない。”洞察力”で結果を判断するのみだ。
離婚について考え直してみたい。それぞれ皆諸事情を抱えているからこその結果なのだろう。
いたしかたない事情もあるだろう。しかし、それぞれの諸事情すべてを押しなべ、一つの安易な答えをだすのはいかがなものだろう。
”これからはひとりを楽しむ時代”などという声も耳にするようになった。
私には堕落した自分の傷をなめているとしか聞こえない。
苦楽のない人生などない。
赤の他人と一緒になり、苦楽をともに歩き続けるからこそ相手を理解することの喜びを感じ、幸せを感じる事ができるのではないだろうか。
一見すると窮屈で、衝突のあるところにもダイヤを凌ぐ輝きである”わかりあえた一瞬”があるのではないだろうか。
浅はかな利便性を合理性と履き違えて大儀とし、自らの辛抱を捨て去り、目先の感情に流されていては、人間として生きる幸せを失ってしまう可能性があるようにも思える。
苦楽は一人では辛い、妻と長年苦楽を分かち合った私には、そう思えてならない。
憂うべき現代だ。私は私の生き方を子孫に伝えることはできるだろうか?
林 秀彦著
「日本人はこうして奴隷になった」
の言葉が身にしみる。